私は今、電鉄系不動産総合デベロッパー勤務の38歳です。
今は仲介営業と不動産買取をやっていて、年間約40件ほど不動産売買の契約を取り扱っています。
営業をしながら新卒で入って来た新人を教育することが多くなって来ていて、営業兼教育担当になります。
20歳で専門学校を卒業し保育士として社会人デビュー。
20歳、21歳で2人の子どもに恵まれました。
23歳の時に子育てのために地元の古いマンションを購入。
23歳の時に保育士を退職し、食品の卸売業の営業へ転職。
ルート営業と新規開拓をすることになり、とても運がよく、ルート営業先の法人の異業種交流会へ参加させていただくことになったのが、人生のターニングポイントでした。
この話はいずれブログ記事に書こうと思ってますので、ここでは簡単にだけ。
「仕事を真剣にすることがどういうことなのか」
これをかなり厳しめに痛感しました。新規開拓営業に抵抗がありましたが、その異業種会の人たちと一緒に営業に出ることができるようになり営業成績はうなぎ上り。この時の経験は、今思えばすでに「仲介」の仕事に近かったと思います。3年でその当時の課長・部長方の成績を上回ってしまい、社長には気に入られましたが、課長・部長にはめちゃめちゃ嫌われました。笑
そして喧嘩し退職。。笑
25歳の時に地元の先輩に声を掛け、何とか雇ってくれるようにお願いをし、産廃業者へ転職。
朝5時過ぎにパッカー車で生ごみの回収。
10時ごろから現場へ産廃の回収や、回収してきた産廃の解体や選別作業を行い、家やオフィスの荷物撤去なんかもやってました。終わる時間は早くて17時頃には終業。もろに現場の仕事でしたね。
この時の体、かなり仕上がってたと思います。笑
結構楽しかったんですが、3年程働いている時に、ふと思ったんです。
「体使う仕事、ずっとは無慮じゃね?」
今更かよ!って言われるかも知れませんが、そうなんです。基本難しいことをしないよう、考えないように逃げて来たなって、ちょっと気づき始めたんですよね。
すごくバカな表現ですけど「物心がやっとついた」という表現が一番しっくり来ています。
28歳くらいでそんなくらいの人間です。笑
それから「人生変えなきゃな」って真剣に考えるようになりました。
ただ何をどうしたらいいのか全く分からず、今みたいにスマホが普及していなっかったてのもあって、調べ方も、何にも分からなったので、とりあえずいろんな人に相談をしていた時に、誰かが不動産屋って儲かるでって言ったんですよね。
でもこの時既に28歳。
誰が28歳の転職歴3回あるやつ雇うねんって、さすがに分かったので、バカなりに「資格があったらいけるんちゃう」と思い、宅建の勉強を開始。
お金が無かったのでユーキャンの宅建講座、テキストのみ(当時30000円くらいだった気がする)に応募し、5冊くらいの本と何年か分の過去問で勉強開始。
ちなみこの時の産廃業者時の月給20万円。ボーナスなし。
子ども2人居てお金が無かったので、夕方17時以降に洗い屋(ビルメンテナンスや店舗の清掃)のバイトもしてました。スーパーやビルがしまる23時くらいから朝方2時~3時まで。
本当今考えると社会を何も知らなかったなぁと思います。
宅建の勉強は夜バイトのない日と、バイトから帰って来た1時間ほど、子どもの机借りて勉強。
冗談ではなく漢字が読めなかったので、小学生の子どもの国語辞典と漢字辞典を宅建の教材の横に並べて勉強。寝不足すぎて、トラック運転中何回も目の前に岩が現れる現象を経験(寝不足なだけ笑)
そんな勉強の仕方だったので、宅建取れるまで3年かかりました。
宅建の取得を機に産廃業者を退職。
30歳で不動産屋デビュー。
ただ、まだまだ世の中を知らない状態ですので、センチュリー〇〇(〇インコスギさん)の名前のついている不動産会社へ応募。勝手に大手なんかなと勘違い笑
この1年も人生経験の詰まった1年でした。
なんとなくイメージする「悪い不動産屋」だったのです。
どんな悪い不動産屋だったのかはまた別の機会に話しますが、楽しいことも楽しくないことも、無知でやってました。あぁ、不動産屋ってこんな悪いことする仕事なんや。
ちなみに給料体系はフルコミッション。1件成績に対して出来高いくらの世界。
運よく自社物件が売れたり、なんやかんやで給料0円はなかったですが、いや、
「今までのどの仕事よりもハイリスクすぎるやろ!給料0かそのうち捕まるわ」と思い再転職。
ずーとバカなんですよ笑
そんで30歳越えの時に、大手!と思い、ちゃんと調べて、今の会社の採用ホームページへ何気なしに応募。そしたら5~6回あった面接をクリアし、採用に。
本当に今でも何で私が受かったのか不思議です。採用担当の方、感謝してます。
そして入ったこの会社が、素晴らしくちゃんとしてたんですよ!
研修なんかあったり、社章、サービスマニュアルなんてのもありました。
そして何十人という同期(新卒・中途含め)。
初めて漫画で見たような「会社」へ就職。
今まで考えたこともないようなルールや規則。法律の話や規律の事なんか。
目の前が新鮮過ぎて輝いてました。
凄く単純なのと、中途採用の中でも最年長付近だったので、負けたくないという気持ちと、恥ずかしいって気持ちと、意外と真面目な性格で、研修にめちゃくちゃ真剣に取り組みました。
そうすると、なんと数十箇所ある仲介営業所の中でも、常に成績優秀で表彰されている営業所へ配属にんったんです。
そこからが私の人生の本当の正念場でした。
周りには聞いたことのある名前の大学出身のエリートの人ばかり。
話す会話の内容が賢すぎて全く会話が出来なかったんです。
もちろん良い会社なんですけれど、不動産仲介の営業所なので、基本仕事と成績の話。
30歳にして、初めて小学校から今までの、勉強のしてこなっかったことを後悔しました。
宅建持ってること、そんなことは参加資格を持った程度に過ぎませんでしたね。
お客様の質もレベルも高く、家を売る、家を買うこと以前の会話で怒られたり、担当を変えられたり。
今までの努力なんかじゃ一生巻き返しできないほどの差が、ついてしまっている。
痛感しました。
みんな考えて、努力して、一生懸命なんだ。
私はどれだけ適当な人生を送って来たんだって、本気で反省しました。
そこから当時の成績最優秀の先輩にまず何からすべきか改めて教えてもらいました。
答えは「勉強」
はい、そうですよね。むしろそれしかありませんよね。笑
でも、何を勉強すればいいのかがわかりませんと言ったところ、
「全部」
って言われました。そうですよね。そうですよね。そうですよね。
はい、わかりました。全部勉強します!
ってことで、まず始めたこと。
①本を読むこと。
②YouTubeを見ること。
ひたすらこれをやりました。
①は、ビジネス書、パソコンの使い方、営業に関する本、心理学、投資本、文庫。
営業の本を読むと、本当にいろんなことを知らないといけないことに気づきます。
自分が何を知らないかに気づきます。知らないと思ったことはひたすら本を読みました。
今家には軽く100冊くらいの本があります。ジャンルは様々。
②は、YouTube大学(中田敦彦)、両学長のリベラル大学に出会うことができ、このお二人の動画をひたすら順番に、すべて見ました。
どちらも、ちょうど動画を配信して、少ししたぐらいに知れたので、初心者というか、レベルの低い人間向けにスタートしていてくれたので、凄く勉強になりました。ち
ちなみに私は人より無知であることを自覚できていたので、動画によって1.5倍から1.75倍速で再生。
早く、たくさん知識を得ることに必死で頑張りました。通勤の行き1時間は本。帰りの1時間はYouTubeで勉強を永遠に繰り返してました。
最近は本要約チャンネルを見て本⇔YouTubeのループです。
これをしながら先輩やお客様へアウトプットする。
そして仕事をめちゃくちゃ頑張る。
そうすると、2年目くらいから少しずつですが変わってくるんですね。
世界が。
普通の会話が出来てきている気になるんですよね。
段々と仕事も、会社の評価もスムーズになって来て、人に教える立場にも、こんな私がなるようになってきました。
こんな私が出来ることを、少しでも皆さんに伝えていきたいと思います。
良かったら他の記事を見ていただいて、皆さんのためになることが一つでもあればと思います。
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